大工と言う語について

普段、建築工事の職人さんを通称、「大工さん」と言っていますが、
久しぶりに「江戸時代の大工たち」西 和夫著S55年初版。を読んでいますと、
参考になる事が書かれていました。
江戸時代では、地位・肩書きを示す言葉でした。
7世紀ごろは「大匠」(おおきたくみ)として残っているそうです。
当時律令制で、国家の建設事業を担当したのが、木工寮(もくりょう)という役所でした。ここの職制は大工(おおきたくみ)・少工(すないたくみ)・長上工(ちょうじょうこう)・番上工(ばんじょうこう)となっていました。
この中でも、大工の職制は大変な権力の持ち主でして、徳川幕府直々の配下でもありました。その名残が大工となっています。
気易く、大工さんなんて声を掛けようものなら、世が世なら、大変な事に・・・

私の父も代々のたたき上げの大工でした。弟子を何人も抱えての毎日でしたが、
呑み込みの早い住込み大工は可愛がられていました。しかし、鈍い住込み大工はいつもこっぴどく毎日の様にしかられていました。
それは、他人さまの子供を預かって、一人前の大工に仕上げて、世間に出すわけですし、
半人前で出してしまえば、親方の恥にもなります。本当に必死でした。
そして、誰かがポカをすると、いつも食事前の説教がはじまり、終わるまで、家族も職人も、住込み弟子も全員正座でした。やっと終わって食事ですが、ご飯もおかずも冷たくて、食べられるもんではなかったです。それを文句でも言えば、ビンタ・食事抜きでした。徒弟社会は、職人も親方もそれを支えた家族はもっと大変でした。
私は、8人兄弟の末っ子でしたから、結構要領がよく、嵐の場面は逃げていました。

いつも弟子に父親が言っていた言葉は「馬鹿では大工は勤まらんぞ」・・・
ですから、住込み修業と徒弟制度の社会は厳しいものでした。
そうして、一人前の大工が世間に出るわけです。住込み年限は大体5年が一般でした。
本当につらい生活だったと思います。
この辺りが崩れてきころから、日本の大工職人の成り手が減ってしまいました。
本当に残念なことだと思います。