懐かしい記事です。

6月4日の朝日新聞大阪北摂版朝刊です。『be』のフロントランナーに
宮大工 小川 三夫さんが紹介されていました。


西岡棟梁の大切な愛弟子さんでした。
この様な職人さんは、出て来ない気がします。
確か、最初は「斑鳩工舎」だったと記憶してますが、「鵤工舎」となっていました。
記事の中にも書かれています、法輪寺三重の塔再建の時に近畿大学建築学科の主催で法隆寺法起寺法輪寺を見学させて頂きました。(昭和44年です)

法隆寺の写真は沢山ありますので、この様なアングルで撮影しました。


再建されました法輪寺三重の塔です。
その時、西岡常一棟梁の説明を受けました。
斧、手斧、槍鉋の事や初めて見る槍鉋に凄さを感じました。
ゼミの先輩が西岡棟梁に弟子入りを何度もお願いしましたが、西岡棟梁曰く、あんたらは頭が賢いから大工にはなれへん。学校の先生か学者になりなはれ。と諭されたそうです。
その後先輩は橿原考古学研究所で目覚ましい働きをされました。


改修工事後の法起寺です。見学の時は改修工事中でしたが、中まで入らせて頂きました。

その時は西岡棟梁を単なる大工の棟梁さんと思っていましたが、薬師寺金堂の再建の時に棟梁の本当の凄さに感動しました。
この様な場面に居合わせた事に感謝です。
18歳の田舎の大工のせがれが、ぼーっと見ていたんでしょうね。(私の事です。)

当時の薬師寺は、今のような絢爛豪華な伽藍配置では無く、廃寺寸前の状態でした。朽ちかけた南大門、修復を急がれる金堂、修復が必要な東塔、少し東側奥の東院は何とか立派に建っていました。
金堂の薬師三尊像や日光菩薩像、月光菩薩像等が自由に撮影出来ました。
(撮影禁止と立札がありましたが、堂内には誰もいませんでしたから・・(..)・・)
境内は塀も柵も無く、自由に境内を行き来できました。
薬師寺の再建の時は西側の加覧配置の発掘調査に参加させて頂きました。
現在の近鉄電車の線路まででした。当時は田んぼが迫っていました。


東塔の改修工事見学会に参加した時です。
見違えるようになった薬師寺ですが、昔のままの方が良かったと思います。
当時のフイルム写真がありますから、ネガを探してネオパンで載せたいと思います。
本当に何にも無く、東側の松林が何とも言えぬ美しさでした。
少し西に進んだところにため池がありますが、そこからの眺めも最高です。


今でも大切にしています。